特にカラーペン・カラーマーカーというアイテムは、手帖をつける際には便利です。日記を書くのにも、もちろん使用していますが、教科書の大切な部分に「赤」でアンダーラインを引く様なものでしょうか。
コンビニのコピーやカラーコピーも重宝です。詳しく書きませんでしたが、スクラップブック日記を作っていく際には、とてもコンビニの10円コピーが役にたっています。
ここのところ、ブログ・WEB日記を書く人が大変多い様です。
内容は様々で、日記形式のものもあれば、情報発信が目的のものもある様です。「ネタ」を考えて書いている方も
多い様に見受けます。
私自身もサイトに日記を掲載していますが、プライベートな内容はあまり書いていません。特に自分の心境や
知人のプライバシーに関する事をネット上で公開するというのは、はばかられる気がしてなりません。
パスワードをかけ、非公開にしている方もいらっしゃる様で、形式は多種に渡っています。
ですが。少し前の時代には、こういう現象は考えられない事ではなかったでしょうか。
私がはじめて日記を書いたのは小学生の時でした。担任の先生に「日記帳を用意するように」と言われ、小さな日記帳を買ったのがきっかけです。
日記が書けたら、生徒全員が、先生に提出していたのです。
そして日記の楽しさを覚えましたが…、日記というのは、「秘密のアイテム」だったと思います。「誰にも見られたくないもの」で、親にも見られたくなかったですし、今でもそれは変わりません。
「鍵」のついた日記帳もあるくらいで、先日2008年用の日記帳を購入するため、文具屋に行ったときにも、やはり「鍵」つきの日記が陳列されていました。

それが今では、全世界中の誰がアクセスするかも知れないネットというスペースで、自分の日記を公開しているわけです。
そして、赤裸々な自分の秘密や心理やプライバシーを公開している…。
ですが、日記に鍵をかけてひっそりとしまっておくという時代が過ぎ去ってしまったのではありません。
昔私がこどもの頃に日記の楽しみを担任の教師に教えられた様に、今では多くの人々が、ネットで文章・日記を書く楽しみを覚えたというわけでしょう。
そして。インターネットという、「顔の見えない世界」という場所で、自分の日記に「鍵」をかけているのだという気がしています。
本名も名乗らず、会社や友人や家族にも内緒で、日記を書いて知らない他人に公開している…そういう方が多いはずです。ブログ・WEB日記もいいものかもしれません。
顔が見えないばかりに、ネット上で事故が起きる事もしばしばですが、それは現実生活でも起こりうる事です。
ですが。やはり本当の自分を偽らず、変化させていくという点では、アナログの昔ながらの日記の方が優れている、と日記書きの私は実感しています。
自分の文字で、自分の言葉で、自分の名前で、日記を書く。というのは、ネット上ではなかなか難しい事なのではないか、と思われませんか?
□美しい日記
「自分の文字で、自分の言葉で、自分の名前で、日記を書く。」と述べました。
例えば文字ですが。きれいな文字と言葉・きれいな便箋に書かれた手紙を受け取ると、よい気分になりますが、汚い文字で汚い言葉を使った手紙を受け取って、よい気分になる人は少ないはずです。
気分がネガティブになってしまいます。

日本には、中国もですが、「書」という文化があります。「書」が芸術である国に私たちは住んでいます。私はあいにくと左利きで、書道は学校の授業で受けたものの、いくら頑張っても、入選止まりでしたが、
このサイトを訪れてくださる方の中にも書道の有段者の方がいらっしゃるかもしれません。
いくら文字の美しさに自身のない私でも、キーボードを叩くだけで、書道の有段者の方と同じ文字が書けてしまう…。それがネットです。
更に、WEBデザインにこだわれば、サイトも美しく飾れます。が。それはパソコンの力が多くを占めているのであり、私だけの力ではないのです。
美しい文字を書くことは、とても大切な事で、心を豊かにしてくれます。「美」に触れると心も美しくなる、と心理学でも実際に言われている事実です。
それは書や人の芸術に限らず、自然界や私たちの身のまわりの「美」「愛らしさ」など、すべてのについて言える事です。
とはいえ、私は自分で自分の文字のへたくそさをよく知っています。小学生の時に硬筆の教室に通うため先生にお会いして、文字の書き方を見ていただいたとたんに、「私は教える自信がありません」と言われたほどです。
今でも、「ボールペン字練習帳」などを使って少しでも美しい文字が書ける様にならないかと、へたくそなりに頑張っています。書店に出向くと、「えんぴつで万葉集」「えんぴつで書いて読んで恋する和歌」など色んな本が出版されていますが、
私には高度すぎて手が出ません。
ただなぞるだけでよい文字のための本ですら、3〜5歳児用のひらがなドリルレベルなのではないかと自分で感じるくらいです。
ですが。必ずしも「美しい文字」で書くことが大切なわけでもないのです。達筆であることは、日記では必要不可欠というわけではありません。
むしろ丁寧に、大切に書こうとする誠実な気持ちの方が大切です。
技術的な事柄ではなく、精神的な事が重要なのです。
日記と向き合う時に、丁寧に大切に向き合うか、適当に向き合うか。それは日記についてだけでなく、対人関係においても、その人の人格・態度をあらわすものなのです。
そして、丁寧に向き合っている時には、おのずと丁寧な文字(美しい文字)になるというのも、事実の様です。
美しい日記を書くことが、日記セラピーの第一歩、なのです。
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